秋になりました。待ちに待った秋です。
夕焼けが感情を刺激する季節になってきました。
「夕焼け小焼けで日が暮れて~♪」
さて、夕焼け小焼けの『小焼け』とは何か?
一説によると音の並びを取るために入れた説、夕焼けになる直前の薄っすら変わっていく様説とありますが、実態は何なのでしょう!?
中村雨紅が「夕焼け小焼け」を作詞した時代の背景
「夕焼け小焼け」は、中村雨紅が1919年(大正8年)に作った詩に、草川信が1922年(大正11年)に曲を付け、翌年1923年に「文化音符 あたらしい童謡・その一」で発表された童謡で、日本人なら年代問わず誰でも知っている童謡の一つです。
中村雨紅の故郷である東京府南多摩郡恩方村(現在の東京都八王子市)の情景を思い描いて、「夕焼け小焼け」の作詞をしたとされています。
作詞された年の1919年(大正8年)というと、前年の1918年(大正7年)に第一次世界大戦の終戦があった年です。1918年は、教師であった中村雨紅が日暮里町第三日暮里小学校へ転勤した年でもあります。
日本は大戦景気で輸出が好評だった綿糸や生糸の生産が盛んに行われていましたが、社会的には不安定な時期でもありました。
そんな中、当時の子供達は学校が終わると幼い弟妹を背中におんぶして、家業や夕飯の用意に忙しい親の代わりに子守をしながら、鬼ごっこやかくれんぼ、影ふみなどをして日が暮れるまで遊んでいました。
小学校教師だった中村雨紅も、そんな子供達の様子を見ては自身の子供の頃のことを懐かしみ、故郷を思って作詞したのかもしれません。
『小焼け』に隠された意味とは
はじめにも述べたように『小焼け』とは音の並びを取るために入れた説があります。童謡「赤とんぼ」にも「夕焼け小焼けの赤とんぼ」とあります。
同じように「ねんねんころりよ おころりよ」「どんぐりころころ どんぶりこ」のように、七五調でリズムが良い言葉の並びが使われている童謡があります。並びで使われている言葉には、前の語に合わせた語呂の良さと、同じような言葉を並べることで前の言葉を助長させる意味合いがあるようです。
その様に「夕焼け」は単体で普段から使われる言葉ですが、「小焼け」は単体で使われる言葉ではありません。 あくまでも「夕焼け」の語調を揃えるための言葉として『小焼け』が使われているのは間違いないようですね。
また、意味合いとしては日が落ちて雲が太陽の光でほんのり明るく照らされている様子とあります。
「夕焼け」は日が沈みかけて西の空一面が茜色に染まっている様子ですが、「小焼け」は茜色がほんのり残っている様子になります。日没までの空模様が刻々と変わっていく様を、日本語の美しい並びで表しているのがわかりますね。
さて、ここからが本題です。
語呂合わせや意味合いだけでは計り知れないものが『小焼け』に隠されているとしたらどうでしょう。
『小焼け』の時間帯は「逢魔が時(おうまがとき)」
『小焼け』の意味合いから知る時刻は黄昏時(たそがれどき)にあたり、黄が太陽を表し、昏が暗いを意味します。いわゆる薄暗い夕暮れの時間帯です。
黄昏時は古くは「逢魔が時(おうまがとき)」といわれ、魔物が現れる不吉な時間として恐れられてきました。昼から夜に切り替わる狭間の時間は、あの世とこの世を繋ぐ境目であると考えられていたのです。
「夕焼け小焼け」の歌詞を見てみましょう。
山のお寺の鐘がなる
おててつないでみなかえろう
からすといっしょにかえりましょ
歌詞に出てくる「お寺の鐘」ですが、お寺の鐘は朝と夕の二回鳴らすところが多く、一日の始まりと終わりを知らせるために鳴らされます。
昔は時計が高価なものだったので、ほとんどの庶民は時計を持っていませんでした。時刻を知るには季節と太陽の角度によりだいたいの時間を把握していたのと、寺の鐘が時報の役割をしていました。
夕暮れにつく寺の鐘は「入相の鐘」といい、日没を知らせる鐘の音です。寺の鐘の音には「仏の声を広く届ける」という意味があり、聞く者の苦しみや悩みを消し、魂を浄化して幸せを呼び込むと信じられています。
「入相の鐘」は、人々の幸せを願い無事に帰れるようにとの願いも込められていたのかもしれません。
また歌詞の中の「おててつないでみなかえろう」には、「逢魔が時に一人になると魔物に攫われやすいから、皆で手を繋いで帰りましょう。」という中村雨紅が子供達の安全を願う意味が含まれているように思えます。
歌詞に出てくるカラスは・・・
「夕焼け小焼け」には1番・2番の歌詞の中にカラスが出てきます。
カラスは黒い見た目から不吉な感じを覚えますが、実は古くから神の遣いとされてきました。
日本神話には「八咫烏(ヤタガラス)」が登場しますが、太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者であり太陽の化身とされています。
『小焼け』には太陽の化身であるカラスが巣に帰えり、太陽が沈み姿を消すことを指しているのではないでしょうか。
2番の歌詞には
まるいおおきな おつきさま
ことりがゆめを みるころは
そらにはきらきら きんのほし
街灯がほとんどない時代、外の灯は太陽と月のみです。太陽も月も灯を失っている時間帯日暮れ時は、現代人の我々には想像もつかないほど不気味な時間帯だったと思われます。
『小焼け』の時が過ぎると、太陽に代わって大きな丸い月と金色に輝く星が夜空を照らし、安らかな夜が訪れます。カラスの巣では親鳥を待っていたコトリ達が安心して眠りにつきます。
2番の歌詞には中村雨紅も、家族がいる家で、安心して夜を過ごした子供だった頃を、思い懐かしんでいるかのように感じます。
まとめ
夕焼け小焼けの『小焼け』とは何か?を時代背景や歌詞の言葉から想像してみましたがいかがでしょうか。
親しみやすい童謡の中に教えや学びがあり、日本人の心の奥にある懐かしさを掻き立てるように感じます。
「秋の日はつるべ落とし」ということわざのように、日が沈み始めたらあっという間に日が暮れます。わずかな時間の夕暮れを、無事に過ごせた一日の区切りとして眺めてみるのもいいですね。